遠くにたどり着いたら聞く曲

唐突ですが、普段いる場所から遠くにいったときにどんな曲を聴きますか?

 

わたしはマーク・ロンソンがプロデュースした"Oh My God"を聴きます。

 

マーク・ロンソンはよく有名歌手とコラボしてオリジナルやカバー曲を世に送り出します。彼は2007年にイギリスのリーズ出身のバンド、カイザー・チーフスの"Oh My God"という曲をアレンジし、リリー・アレンとカバーした同名の"Oh My God"をヒットさせました。その曲が好きなので紹介します。

 

さいきんは行ってないですが、海外旅行にいったときによく聞きます。「こんな家から離れた場所に来ちゃうなんて信じられない。」っていうサビが遠くにきた感じを演出してくれます。

 

And oh my God, I can't believe it I've never been this far away from home

And oh my God, I can't believe it I've never been this far away from home

 

 

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ここからはタイトルから話がそれます。

 

マーク・ロンソンといえば、他に好きな曲はこれです。エイミー・ワインハウスとコラボしたヴァレリーエイミー・ワインハウスの中で一番好きな、大好きな曲です。麻薬漬けになってしまった彼女が復帰できなかったことが本当に悔やしい。彼女の曲が聞けなくて救われない人がどれだけいることか。

 

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アデル、シーア、リリー・アレンなど、よく聴く女性アーティストはたくさんいますが、エイミー・ワインハウスは一番よく聴く人かもしれません。ドラッグで堕落した自分を立て直そうと歌う彼女が好きでした。

騙すことを許された人 -Derren Brown

10年前から追っているマジシャンがいます。イギリス出身のDerren Brownという男性です。彼は英語圏では名の通ったマジシャンですが、日本でよくみるような人物とは一線を画す、「神に騙すことを許された唯一の人間」だと思ってます。

 

彼の紹介がわりに見て欲しい動画はこれです。この「白い紙で買い物をする」回では、店主の意識を巧みな話術で逸らし、「白いペラペラした紙」で次々と買い物をします。彼の動画では、いつもトリックのタネをあかして、自分がどんな風に人を騙していたか説明してくれるのですが、それでも人は真似できません。そこが人気の秘訣なのでしょうか。

 

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彼の神回は、「暗殺者を育成してみた」の回です。2011年のThe Experimentsという番組で実際に放送されています。

 

暗殺といえば、ケネディ大統領の事件が有名ですが、この番組によると犯人は「殺した記憶が全くない」と供述しているようです。つまり、犯人は催眠術にかけられていたのではないかということです。Derren Brownは、この番組の中で、多数の一般人の中から催眠術にかかりやすい候補者を一人選び出し、暗殺者になるようトレーニングします。キーワードは「模様と音」です。その2つを合図として、候補者の男性はマインドコントロールされ、実際に暗殺を実行します。暗殺者の選出とトレーニングが記録されているので、気になる人はみてください。(暗殺される役の人はハリー・ポッターの朗読シリーズで有名なスティーブン・フライというコメディアンです。)

 

 

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もし、BBC4のドラマ「Sherlock」ファンならこの神マジシャンDerren Brownのことをちらっと見たことはあるかもしれません。シャーロック扮するカンバーバッチがビルから飛び降りたあと、意識不明になって...という回がありましたが、そのトリックを仕掛けていたと出てきた男がこのDerren Brownです。

 

マジシャンとしては珍しく、彼は冠番組をこれまでもいくつも持っていますし、2003年から舞台でのパフォーマンスを毎年企画しています。彼の番組や舞台はほとんど彼のYoutubeチャンネルにに上がっているので気になる人はチェックしてください。実際にわたしはYoutubeの小さい画面でみても、彼の催眠術にかかって体が硬直したことがあります。そのあとすぐ解けましたが。彼のパフォーマンスはロンドンに行ったらぜひみたい。ずっと心の隅でそう思っています。

 

 

自己紹介ではない何か

梅雨のジトジトとコロナが相まって、外に出るのが億劫になってしまい、独り言が増えました。無駄なツイートでTLを荒らしている自覚があるので脳内の清掃をする意味でこちらのブログを開設しました。

 

今月は祖父の命日のある月でした。祖父の命日は7月3日です。

古書店を営んでいた父方の祖父はずっとカメラを首から下げて、変わりゆく街をフィルムで撮り続けた人でした。そして無名な人の個展を片っ端からみに行く人でもありました。

 

祖父の家に遊びに行くと「おーよくきた」と拍手で出迎える儀式が毎回あり、それが記憶に残っています。フィルムカメラの円柱状の小さないれものに、レジで集めた金ピカの小銭を入れて準備してくれたのが嬉しくて。888円の入ったケースを差し出して「末広がりの8が3つもありますよ」と言いながらくれました。劇作家の木下順二さんが中学時代の同級生で、とても仲がよかったそうです。わたしの父も夕鶴の話をよくしていました。祖父は父親が若くして亡くなったため大学にいかず、そのまま古書店をついだそうです。

 

祖父はとてもマメな人でした。たとえば、年賀状を送付する前に番号を控えて、何か当選したらさらに手紙を送るという人でした。笑えますよね。書斎には、中学の頃から晩年まで書き綴った日記がずらりと並んでおり、その日買ったもののレシートまで挟んでいます。とにかく記録が好きだった人のようです。

 

わたしは、よく祖父の話をしますが、実際に一緒に住んでいたのは、都市から離れた母方の実家なので、そちらからの影響の方が大きいかもしれません。

 

母方の祖母もまたカメラが好きでした。わたしが小さい頃から大人になるまでの写真を撮り、また庭の花を今でも楽しみに写真に残し、それを生きがいにしている人です。祖母は、レディ・バード若草物語の監督グレタ・ガーウィグの出身地でもあるサクラメントに20代前半(1960年代あたり?)に親戚をたどって海外逃亡し、家族から偽の「父親危篤」という電報をもらってあえなく帰国したという破天荒な人です。わたしは4年前にサクラメントにたまたま降り立つ機会があったのですが、それはそれは若い時の祖母の気持ちを思い出しては笑いました。

 

母方の祖母は趣味が多く、水墨画、詩吟、海外旅行、カラオケ、家庭菜園と人生を満喫している人ですが、わたしの小さい頃から「死んだ方がまし」とよく口にしていました。あまりにも小さい頃からよく聞いていたので、何も気に留めていませんでしたが、実の母親を高校生の時に亡くし、二十歳前後で夫と離婚し一人で娘を育てた祖母の人生はそりゃ「死んだほうがまし」と言いたくなるような、つらい出来事の繰り返しだっただろうなと、今になったら理解できます。

 

両親よりも祖父母の影響が大きいのは、両親が忙しかったからということも大きいでしょう。祖父母は会社員ではなく、自営をしながら自由な時間を趣味に費やす余裕があったので、孫とも交流する時間があったのではないかと思います。

 

両親が真面目な地方公務員だったため、漫画やゲームは害悪という田舎の真面目な家庭にありがちな、謎の教育を受け、イニシエーションとしての少女漫画を通らずに大人になりました。それは良い意味でも悪い意味でも、自分が中性的な価値観を持つきっかけになったなと今では思っています。なので世の中の問題が「女」や「男」という性別に無理やり帰結して議論されるときに違和感を抱きます。

 

おそらく、パンセクシャルに近い価値観を持っているので、異性愛やBLや百合に特別萌える、ということもありません。セクシャリティが紹介文の最初に出てくるような物語よりも、親密性やすれ違いがよく描かれた小説や映画が好きです。親密性やすれ違いがよく描かれている物語であれば、BLや百合でもおもしろく感じるというのはあるかもしれません。

 

とりとめがないですが、近所のケーキ屋さんで季節の移り変わりを感じています。最近は、マンゴーのショートケーキとイチジクのタルトをいただきました。あとは、徒歩30秒圏内にわたしに甘くしてくれるバーがあり、もぎたてのミントでモヒートを作ってくれます。シナモンと林檎のソーダ割り、レーズンバターのサンドなど、店主のこだわりの、そこでしか味わえない一品が大好きです。

 

最後に、わたしは妹が大好きです。中高生のときは非常に仲が悪くなったのですが、今はとても仲が良く、暇なときにはすぐにline電話がかかってきます。妹には息子が2人おり、2人ともとても元気がよすぎます。兄はわたしに似て、自意識がたまに過剰で思ったことをすぐ口にしてしまうタイプ。弟は妹に似て、努力しなくても愛されるキャラです。

 

とりとめもなく話したくなったので、とりとめもなく書きました。終わり。