人はかわるらしい

東京に3年間住んでいた友人が、結婚して地元に戻り数年になる。

今日、突然、運動不足を反省し、日比谷から家まで1時間くらいかけて歩いて帰っていたのだが、ちょうど皇居前に差し掛かった時に久しぶりにその友人からの着信音が鳴った。

仮にAとおくが、Aは東京に住んでいるときには毎週のように異なる女の子と連絡をとり、寂しさを埋めるためにデートをしていた。(彼はツイッターなどのSNSをやっていないので、ネットで寂しさを埋めることをしないタイプだ)

しかし、そのAが結婚したあとに、どこにでも奥さん※と出かけるのが最優先になってしまったというのだ。そんな話、昔なら信じられなかった。結婚していても、趣味を多く持ち、交友関係が広く、奥さんの優先順位は低いままだと思っていた。


本人も「まさかこうなるとは思ってなかった」と話していたので、「なんでそうなったの?」と聞くと次のような返事がきた。

 

まず、これまでよく会っていた女友達も、結婚したら旦那さんを優先するので、もう誘いにくくなった。旦那さんに嫌な目で見られるリスクが高いそうだ。次に、もし、会ったとしても近所で噂になるのが耐えられない。そうだ。田舎なので、カフェで話しているだけでも、浮気だのなんの言われて、話のネタにされてしまうのだ。

「えー、でも、今日久しぶりに一人なら、◯◯とか行けばいいじゃん。」と話すと、「いやー、前は一人で行ったかもしれないけど、そんなん一人で行っても、なんも楽しくない気持ちになってきたんだよね。だって、一緒に行った方があとで感想言い合えるしさぁ。前は、一人の日が嬉しかったのに、最近は数日そばにいないだけで、遠距離恋愛してる気分になってさぁ。寂しいんよ。これって、飼いならされたんかねぇ?」

まさか、彼からそんな返答がくるとは思わなかった。もう15年くらいの友人だが、こんなに人って変わるんだな。と電話を切ったあと、家に向かって考えながら歩き続けた。昔は、一人で美術館も登山も行ってたじゃないか。これは奥さんを愛していていいねぇという話ではなく、本人が単独行動したり、社交的だったのに、他の人と会うのが面倒になる性格になるとは驚いたなぁ、という話である。

※奥さんという名称は好きではないが、これしかないので、使うしかない。

自分の仕事観をふりかえる

とにかく、単純作業に時間を縛られるのが苦手である。運転免許の適性検査を受けると、やたらと作業が早い人だと結果がでるが、このように、たまに受ける試験で、ゲーム性のある単純作業はいい。運転免許の適性検査なんて、人生に1回か2回だ。

 

ランダムにそのときだけ発生する単純作業、というものは、楽しいからいいのだが、普段、エクセルをたたくだけの仕事やデータをまとめてどんどんアップする仕事などを延々とするのは、たぶん普通の人の数倍耐えられず、時間が経てば頭がフリーズする。

そんなん、みんな嫌ですよ。という言葉が返ってきそうだが、私の場合、それで100万円もらってもできないのだ。脳が死んでしまう。あるいは、脱線して、ネットサーフィンをしてwikipediaを見はじめてしまう。言語が介在していない仕事じゃないと長期的にできない。

 

なので、言語を扱う仕事、語学を教える、編集する、翻訳するなどが好きな仕事だ。

 

そのほかにも、転職に転職を重ねて研究した結果、どんな軸で選んだ方が、自分の気持ちが楽なのか少し分かってきた気がしている。

 

・会社のホームページに掲載されている従業員が、ラフな格好をしている(絶対にスーツを着たくない)
・面接官がジャケットを着ていない
・上司が仕事の過程でマイクロマネジメントをしない
・雑談がおもしろい(営業成績の数字を雑談でするような会社は向いていない)
・遅刻しても怒られない(コアタイムのないフレックスがよい)
・新しい企画ができる(実現するかどうかは別として、アイディアを出す仕事が向いている)
・趣味の場合は、一人で書いたり編集したり翻訳したいが、仕事はなるべく、ライターやイラストレーターなどと複数でやるほうが、仕事が早く終わるから好き。あと、意見をもらえるのは、共同でやってる感じがして楽しい。

 

これに加えて、最近、あぁ、これは重要だと思ったのが、「大きな声を出さなくていいこと」だ。めちゃめちゃ声をはって、挨拶したり、がやがやした席でお酒を飲んで、上司を持ち上げる会話をするのが、本当に苦手だ。家に帰って、ツイッターを見てる方がましである。

2021年冬のはじめの時点での仕事観はこんな感じだ。また、今後気づいたことが出てくるかもしれない。

 

8月1日のランダムな思考 2

先日、オリンピックの開会式を友人宅でみた。ロンドンのゲーム会社で10年ほど働いて最近日本に帰国した友人と、ゲーム配信で食べている元建築士の旦那さん、それからオリンピック中に記者会見などの通訳をすることになっている友人とその彼氏、そして私の5人で。

 

イギリスから帰国して外資のゲーム会社に勤めている友人は、すぐに入場曲に任天堂のゲームの曲が入っていないことに気付いた。前日にトヨタがオリンピックの広告から手を引き、選手を乗せる車両などでしか大会に貢献しないと公言していたので、任天堂もそういう事情なのだろうと思った。誰からも協力が得られない、敬遠され、歓迎されないイベントになってしまった。

 

スポーツは好きだけど、ここまで人の命を犠牲にしてやるものではないし、だが、一方でオリンピックをやらないことで垂れ流してしまう赤字もどうにかしなくちゃいけないという判断だったのだろうか、とも思わなくもない。しかし、オリンピックをやろうがやりまいが、日本の経済は死ぬのだろう...。

 

マリオが会場を湧かせたリオの閉会式も所詮は広告代理店の主導のディレクションで、実は誰かが犠牲になりながらできあがったものなのだろうか、と、思うとオリンピックって...と頭を抱える。

 

しかし、クリエイターが大きな予算をもらって一大イベントを作り上げることに興味があったので開会式はみたし、好きなスポーツは少しだけみている。しかし、なぜこんな後ろめたい気持ちでみなくちゃいけないんだろう。

 

大学時代に「スポーツと政治」の講義を受けたことがあるが、その教授はアンチ国際大会の人だった。よくその教授が言っていたのは「W杯やオリンピックは戦争の代わりにやっているようなもの」「視聴率目当てに選手には迷惑な時間帯に試合が組まれている、そんな理不尽なものなんてみなくていい」と怒りを露わにしていた。

 

また、別の大学の教授は「国民国家とスポーツ」について過去に国民国家(Nation State)の国民という意識を根付かせるためにスポーツをやってるようなオリンピックを支持しますか?それとも市民が民間のスポーツチームに所属して闘うプロのリーグを応援しますか?みたいな話をしていた。

 

政治に利用されてしまうスポーツはみたくない、しかし、選手は悪くない...そういう意識がぐるぐるしながら、少しだけオリンピックをみている。

 

 

 

 

 

 

8月1日のランダムな思考

ランダムな思考。

八百屋さんに桃が並びはじめた。

 

10ツイートぐらいで更新の途絶えている恋人のことを綴ったツイッターのアカウントをみつけると心が締め付けられる。

 

大和田良さんの「写真を紡ぐキーワード123 写真史から学ぶ撮影表現」を神楽坂のかもめブックスで購入した。テラス席で冷んやりしたアイスコーヒーを一気に飲み干す人、変わったオブジェを手にして店員さんに用途を訪ねるプレゼントを探してそうな人、本屋さんの中は現実とパラレルの世界が広がっていた。その時間だけは本当にパンデミックなのか、よく分からなかった。しかし、メディアによるとパンデミックであるし、医療従事者の友人から惨状を聞くと私たちは地獄の中を生き抜いている。

 

映画を全くみれていない。

 

優しくてよい人であってもグイグイこられると「あっちに行ってくれ」と思ってしまう。あんまり今は恋愛や結婚に興味がないのだ。長期の、かけがえのない人間関係に興味があるだけ。

 

妹が子どもを3人以上産みたいと言っているので、少子高齢化はもう任せたという気持ちになった。私は気楽に暮らす...。

 

子育てをしてない(あるいは結婚もしてない)児童文学作家がけっこういることに気づき、そこは矛盾してそうで実は矛盾してないことに気付いた。仕事と生活は全く別の話なんだよなぁと。殺人鬼じゃなくてもミステリ作家をやれてしまう仕組みと同じだ。当たり前だけれど。

 

私はけっこう人のつく嘘に敏感だ。でも、最近は小さな嘘を見逃すようになった。誰にでも知られたくないことやスルーしてほしいこと、そう思っておいてほしいことはあるのだろう。嘘はある種のクリエイティビティであると思うようにした。

 

人生を喜劇寄りに捉えている大人が周りに多い環境で育ったので、あまりにも美化されたような物語を受け付けない人間になってしまった。美し過ぎる物語は誰かにとって救いなのかもしれないが、自分にとっては虚構にみえてしまう。でも、現実で苦しいからこそ物語の中だけでも美しいものをみたい人がそういう話を書いているのだろう。今の精神状態から来ているのかもしれないが、ちゃんとした悪人がかける脚本家のドラマや映画がみたい。善人はみたくないのです。

 

税金が高い。都民税をすでに二期分支払ったが、これがオリンピックの国立競技場で打ち上がった花火に消えたかと思うと虚しくなる。

 

墓場に行ってきた

美術館は墓場だと誰かが言っていたけれど、今日は平成の美術の墓場を見に行った。

平成ってようは元号なのだが、元号で括れる美術って何だろうという野次馬精神で見に行ったようなものだ。美術を見るとき、その面白さは、権威的なものに逆らったり、道具が革新されたり、仲良しグループが何か実験したり、戦争に反抗して運動をしたり...という反応を見てほーーと頷いたり、頭を捻ったりするところにありそうだ。じゃあ、元号で括ったときに何が炙り出されるかと言えば、その期間に起こったことをひたすらまとめ上げる事しかないんだなという気持ちになった。

カオスラやパープルームが、正直、平成を表象しているのかどうか、私には分からない。でも、平成の美術の墓場を見に行ったと思えば、そうなのかも、と思った。

(平成美術 うたかたと瓦礫展@京都京セラ美術館をみて)

意味のないことを500字書くブログ

疫病がおさまらずこのまま10年あっという間に経つかもしれない。そんな考えが頭の片隅をよぎる。

在宅ワークがずっと続いているが、今日も対面で誰とも話さなかった。

最近、エヴァのシンジじゃないけど、「みんな優しくしてよ」みたいなことをつい口から出しそうになる。いや、誰かに冷たくされているわけではないし、孤独を選んで日常生活を送っているのだが、つい、仲のよい友人が突然家のチャイムを鳴らしてこないかな、みたいなことばかり考えている。

かつて、友人が「えみさんの恋愛観はエヴァのようだ」と言われて、エヴァをみることにしたが、「ん?」なんでわたしの恋愛観はエヴァなんだと、観終わったあとにずっと考えていた。すると、ふと、「あーー、私はよく恋愛している時に、まじで相手にとって自分が価値のない人間に感じて、何も喋れなくなる」「私に優しくないと口走る(そうとう面倒な奴だ)癖がある」と話していたからか、とようやく気づいた。

たしかに、そうだ、一部の人間から、そうとう自己肯定感の高い人間だと思われているし、その一方で、相当自己肯定感の低い人間だと思われることもある。

 

自分の占いをみても、「あなたは自分が明るい人間なのか、暗い人間なのか分かりません」と書かれているので、そやなぁと思っている。

秋葉原界隈でよく行っていた飲食店(ランチ)

2017年から少しだけ秋葉原にある小さな出版社に勤めていました。その頃によく連れて行ってもらったランチのメモを残します。本当は綺麗に写真で撮って載せたいところですが、食べログの引用で許してください。

 

コパンドゥ

小学校が改装されたギャラリー3331の中にコッペパンを使ったサンドイッチ屋さんがあります。秋葉原界隈で500円以内でランチを済ませられる場所なんて、マックかここだけです。会社から自転車で5分くらいの位置にあったので、よく昼は3331内の本屋さんで美術書を読んだり、売り出し中の作家さんの展示を見に行ったりしました。

 

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いづみ

ここは入社した日に編集長が連れて行ってくれたお店です。YKKビルの裏にあって、隠れ家的な和食屋さんです。編集長は東京外大の英語科出身の人で、とても陽気で優しくて、年に2週間のバケーションを必ずとる人でした。外務省在外公館派遣員制度で南米に数年滞在したこともある人で、よくその当時の話をされていました。

 

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秋葉原に住んでる友人を誘って先日久しぶりに行ったら、やっぱりめちゃくちゃ美味しかった。焼き魚が美味しいランチってなかなか見つけるの難しいんですよね。とろろが抜群に美味しい。そして、店主が職人気質で、少しだけ無愛想なのも、信頼ができます。「久しぶりに食べに来ました!」と挨拶しても「そんなこと言われても、覚えてません」と言われてしまいました。

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アルティスティ

秋葉原のイタリアといえばここ。このお店は私が大好きなハリネズミをペットで買ってた女の先輩が行きつけの場所でした。私にとっては少し味が濃いのですが、毎回満席でなかなか入るのが難しいお店です。

 

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キッチン竹乃子

店構からして、老舗の感じがして、孤独のグルメに出て来そうな雰囲気です。肉汁にお金を払っていると言っても過言ではありません。カウンター席と少しのテーブル席しかない店内ですが、ハンバーグ好きは一回行った方がいいです。

 

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ぽるしぇ

会社の会議室が満杯で行き場がなくなったときに、打ち合わせで使っていました。喫煙OKのお店なので、たばこの煙が苦手な人は避けた方がよさそう。でも、超シンプルでトロトロすぎず、あざとすぎないオムライスがおいしいお店です。

 

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好きな場所はブログに残しておこうと決めたのでした...。