8月1日のランダムな思考

ランダムな思考。

八百屋さんに桃が並びはじめた。

 

10ツイートぐらいで更新の途絶えている恋人のことを綴ったツイッターのアカウントをみつけると心が締め付けられる。

 

大和田良さんの「写真を紡ぐキーワード123 写真史から学ぶ撮影表現」を神楽坂のかもめブックスで購入した。テラス席で冷んやりしたアイスコーヒーを一気に飲み干す人、変わったオブジェを手にして店員さんに用途を訪ねるプレゼントを探してそうな人、本屋さんの中は現実とパラレルの世界が広がっていた。その時間だけは本当にパンデミックなのか、よく分からなかった。しかし、メディアによるとパンデミックであるし、医療従事者の友人から惨状を聞くと私たちは地獄の中を生き抜いている。

 

映画を全くみれていない。

 

優しくてよい人であってもグイグイこられると「あっちに行ってくれ」と思ってしまう。あんまり今は恋愛や結婚に興味がないのだ。長期の、かけがえのない人間関係に興味があるだけ。

 

妹が子どもを3人以上産みたいと言っているので、少子高齢化はもう任せたという気持ちになった。私は気楽に暮らす...。

 

子育てをしてない(あるいは結婚もしてない)児童文学作家がけっこういることに気づき、そこは矛盾してそうで実は矛盾してないことに気付いた。仕事と生活は全く別の話なんだよなぁと。殺人鬼じゃなくてもミステリ作家をやれてしまう仕組みと同じだ。当たり前だけれど。

 

私はけっこう人のつく嘘に敏感だ。でも、最近は小さな嘘を見逃すようになった。誰にでも知られたくないことやスルーしてほしいこと、そう思っておいてほしいことはあるのだろう。嘘はある種のクリエイティビティであると思うようにした。

 

人生を喜劇寄りに捉えている大人が周りに多い環境で育ったので、あまりにも美化されたような物語を受け付けない人間になってしまった。美し過ぎる物語は誰かにとって救いなのかもしれないが、自分にとっては虚構にみえてしまう。でも、現実で苦しいからこそ物語の中だけでも美しいものをみたい人がそういう話を書いているのだろう。今の精神状態から来ているのかもしれないが、ちゃんとした悪人がかける脚本家のドラマや映画がみたい。善人はみたくないのです。

 

税金が高い。都民税をすでに二期分支払ったが、これがオリンピックの国立競技場で打ち上がった花火に消えたかと思うと虚しくなる。