8月1日のランダムな思考 2

先日、オリンピックの開会式を友人宅でみた。ロンドンのゲーム会社で10年ほど働いて最近日本に帰国した友人と、ゲーム配信で食べている元建築士の旦那さん、それからオリンピック中に記者会見などの通訳をすることになっている友人とその彼氏、そして私の5人で。

 

イギリスから帰国して外資のゲーム会社に勤めている友人は、すぐに入場曲に任天堂のゲームの曲が入っていないことに気付いた。前日にトヨタがオリンピックの広告から手を引き、選手を乗せる車両などでしか大会に貢献しないと公言していたので、任天堂もそういう事情なのだろうと思った。誰からも協力が得られない、敬遠され、歓迎されないイベントになってしまった。

 

スポーツは好きだけど、ここまで人の命を犠牲にしてやるものではないし、だが、一方でオリンピックをやらないことで垂れ流してしまう赤字もどうにかしなくちゃいけないという判断だったのだろうか、とも思わなくもない。しかし、オリンピックをやろうがやりまいが、日本の経済は死ぬのだろう...。

 

マリオが会場を湧かせたリオの閉会式も所詮は広告代理店の主導のディレクションで、実は誰かが犠牲になりながらできあがったものなのだろうか、と、思うとオリンピックって...と頭を抱える。

 

しかし、クリエイターが大きな予算をもらって一大イベントを作り上げることに興味があったので開会式はみたし、好きなスポーツは少しだけみている。しかし、なぜこんな後ろめたい気持ちでみなくちゃいけないんだろう。

 

大学時代に「スポーツと政治」の講義を受けたことがあるが、その教授はアンチ国際大会の人だった。よくその教授が言っていたのは「W杯やオリンピックは戦争の代わりにやっているようなもの」「視聴率目当てに選手には迷惑な時間帯に試合が組まれている、そんな理不尽なものなんてみなくていい」と怒りを露わにしていた。

 

また、別の大学の教授は「国民国家とスポーツ」について過去に国民国家(Nation State)の国民という意識を根付かせるためにスポーツをやってるようなオリンピックを支持しますか?それとも市民が民間のスポーツチームに所属して闘うプロのリーグを応援しますか?みたいな話をしていた。

 

政治に利用されてしまうスポーツはみたくない、しかし、選手は悪くない...そういう意識がぐるぐるしながら、少しだけオリンピックをみている。